立正佼成会では2008年3月5日を期して、全会員へのご本尊およびご法号勧請がされています。 これまでご本尊は、ある程度信仰をしてから、始めて勧請してもらえたのですが、それが全会員に勧請するというのは、どうしたのでしょうか? それは、本来、開祖さまが「いずれは全会員にご本尊を勧請」という願いがあったのです。 しかし、物事を成し遂げるのには、それだけのことをするのに相応しい条件が必要です。ちょうど、お釈迦様が法華経をお説きになるのに、40年余りも方便の法を説いてきました。 また、開祖さまも立正佼成会を創立して20年間は方便時代と言われるように、法華経を学ぶ教学などがなかった時代があり、それで人が育ったから20年経って始めて真実顕現で法華経を説かれることができたのです。 そして会長先生は、開祖さまの子であり、開祖さまの時代では果たせなかった願いを二代会長として果たすのが役割と自覚して、決意を持ってご本尊を全会員に勧請するのを発表してのです。 ご本尊を各家庭に勧請するということは、立正佼成会会員はすべの人が久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を本尊とするわけです。 久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を仏教徒として本尊として勧請するのがあるべき姿であり、ならびに信仰の目的を改めて確認する意義があります。 信仰の目的は、会員綱領のあるように人格完成=成仏であり、それは本仏=久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊に自分は生かされている、今この場で自分はもう幸せになっているのだと悟ることです。 そして、同時に自分だけが救われるのではなくて、みんなも共に救われるのを願うのが法華経の精神ですから、その万人の救済という仏様の願いをわが願いとしていくのを、ご本尊を拝して、自分に確認するのが大切です。 また、ご法号を勧請するということは、私たち立正佼成会の会員は、開祖さまと脇祖さまを師匠とすることを明確にします。 私たちは、悩み苦しみにを抱えた人に寄り添い、歓びや悲しみを分かち合いながら、多くに人に安心や生きる希望を与えていくという大きな役割を持っていることを認識するのです。...
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最後に三宝帰依では僧に帰依します。 自ら僧に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、 大衆を統理して、一切無碍ならん。 僧とは和合で、信仰者の結合体をいいます。 お釈迦様が、ある弟子から尋ねられました。 僧に帰依するのは、信仰の中で半分くらいを占めるくらい大事なのでは それに対して、お釈迦様のお答えは。 僧に帰依するのは、信仰のすべてだ 私達は一人では、時に怠けたり、忘れたり、間違ったりとなかなか信仰もうまくいきません。 それが、僧=仲間がいれば、励まし合い、助け合い、教え合っていきますから、自分ひとりでは乗り切れないことも乗り切れます。 ですから、僧を心の依りどころにするのが大切なのです。 大衆を統理して、一切無碍ならんとは、統理すると言っても、その前に衆生とともにとありますから、上に立つ指導者のことをいっているのではありません。 衆生とともに、つまり皆で一緒に、一切無碍(じゃまものに妨げられない)で、この無上道を歩んでいこうというのです。 ...
僧帰依-三宝帰依の続きを読む>
次に三宝帰依は法(仏様の教え)に帰依することを表白します。 自ら法に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならく。 仏様に帰依するというのは、魂で悟るという個人的なものですが、法に帰依するというのは、普遍的な仏教を理解して悟るのです。 仏教というのは、99%は理屈でわかる教えですから、それで相手に説けますし、また自分が生活を仏様の教えた真理に従えます。 人生には、時には都合の悪いことが起こったり、困ったりしたことが起こります。 その時でも、法に帰依していれば、一時は真理のとおりに行かないと思えても、やがて真理のとおりに世の中が動くと信じていられるのです。 深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならくとは、字義だけを見ると深い広い海のような智慧を得るというのですが、そう固くとる必要はありません。 一番根本の真理をつかめば、その場合にどうするのが正しいかは、自然にわかってくるのです。 ですから、その根本の真理を努力してつかむ決意を表白しているのです。 ちなみに、根本の真理とは、根本仏教では縁起観、法華経では諸法実相をつかむのが、まず考えられます。...
法帰依-三宝帰依の続きを読む>
三宝帰依の最初は仏様に帰依することを表白します。 自ら仏に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。 仏様に帰依する、すなわち全身全霊をあげて信頼しすべてをお任せしますが、それだけでなく、無上意を起こすのです。 「無上意を発さん」は、無上の仏様の悟りを、自分も得たいという気持ちを強く持ちますと言っているのです。 この悟りを得たいという心を発菩提心をいいます。 それには「大道を体解して」して仏様の悟りを得ます。 大道を体解してというのは、大道というのは宇宙の真理・永遠の生命を、体解する、すなわち「りくつでなく、魂でわかる」ということです。 宇宙の真理・永遠の生命は、理屈で説明しても、ある程度はわかりますが、最後は魂が納得して、悟るものなのです。 発菩提心が、菩薩として最初に必要なもので、ここから信仰が始まるともいえます。...
仏帰依-三宝帰依の続きを読む>
三宝帰依は、ほとんどの仏教団体では唱えますが、立正佼成会でもご供養の最初に読みます。 自ら仏に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。 自ら法に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならく。 自ら僧に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、 大衆を統理して、一切無碍ならん。 仏は仏様、法とは教え、僧とは教えを行ずる人達のことでそれに帰依するのを表白します。 帰依とは、帰命と言い、全身全霊をあげて信頼し、心の依り所にし、すべてをお任せをすることです。 ですから、純粋な信仰の心を持って、これからご供養をしますというわけです。 「まさに願わくは衆生とともに、」が3つともついています。 これは、常に信仰者は、自分だけが救われるのを考えるのではなく皆が救われることを考えるためにあります。 ...
三宝帰依の続きを読む>
根本仏教は、三宝帰依、縁起観、四諦、六波羅蜜、八正道、十二因縁などの法門でなりたちます。 根本仏教は、初期仏教・原始仏教とも言われて、釈尊が生きていた時代を含み、釈尊の死後およそ100年から200年間までの間の仏教をいいます。 この後釈尊の死後100年の頃、それまで一つであった弟子たちの集団が、大衆部と上座部の二つ教団に分裂したのを根本分裂といいます。 そして、部派仏教に分かれて大乗仏教と小乗仏教と互いが相手を責めて、激しい争いをするようになってしまいました。 このときに、両派の自説にこだわった視野を開かせ、仏道の大道に目を向けさせたのが、妙法蓮華経(法華経)だったのです。 では根本仏教と法華経は、別なものなのでしょうか? いいえ、どちらもお釈迦様の説いた教えであり、どちらかだけを正しいと言うのはおかしいことです。 ですから、立正佼成会では根本仏教と法華経を同時に学びます。 ...
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